この善婆と悪婆を参考にして、魂のゆくえの本を書きました。
本当の善人とは何か? また悪人とは何か? を問われれば、親切にしている人
が善人であり、傷つけたり脅して相手に恐怖を与えた人が、悪人だと言われると
思うが、これは人間の判断として、色眼鏡を書けて物事を見ているだけだと思う。
人間界には陰と陽が存在し、お互いが認め合いながら今日まで来ている。
この陰と陽が表裏一体や清濁併せ呑むことを教えている。それが「比べる対象
物の役目である」と思われるがどうだろう…………。
親切とは何か
「人には親切にしなさい!」と言われるが、親切にしても不幸な人がいて、
親切にせず薄情な人でも不幸にならない人がいる。何故だろうと思っている人が
多いと思う。
これは親切の意味をはき違えているからである。親切とは「人情があつく、
人によく尽くすことや、行きとどいてていねいなこと」だと、辞書には書いてある
が、これが間違いな場合もある。ここに二通りのおばあさんの例えがある。
これを読んでもらえば少しは気づくと思う。
善婆?
まず一人目のおばあさんは七十の後半で、本家の長男の嫁として嫁ぎ、主人は
数年前に亡くなり息子夫婦と一緒に住んでいる。そのおばあさんは誰に出会っても
手を合わし、慈悲深く温厚で人当たりも良く、近所の付き合いも良く誰からも好か
れ、村から頼まれた役はどんな仕事も断らず受け、信仰心も厚く神社仏閣へは多額
の寄付金を奉納し、誠心誠意、村のために貢献していた。
だが年には勝てずとうとう病の床についてしまった。近所の人達が次々にお見舞
いに来てくれ「おばあちゃん大丈夫? 早く元気になってね!」と元気づけられれば
「ありがとう! ありがとう!」と感謝の念で手を合わす。
そのおばあさんにも嫁いだ娘さんが四人いて、交代で看病に来るようになり
「感謝! 感謝!」と娘達に手を合わせていた。
だが、おばあさんが病み、四人の娘達が入れ替わり立ち替わり来るようになって
から兄弟喧嘩が起き、長男夫婦は田畑へ行く時に、おにぎりや弁当を持って出かけ
るようになった。
おばあさんは娘達の献身的な看病にも勝てず、とうとう亡くなってしまった。葬儀
や忌み明けが過ぎ、長男夫婦と姉妹四人と遺産相続争いが始まり、姉妹は一人一反
(三百坪)ずつ土地を奪い取ってしまった。
実家の土地を奪い取った姉妹達は、長男夫婦と縁を切り「親が生きている最中は親
孝行、親が亡くなったなら墓参り」と言うように、実家に寄らず毎週欠かさず墓の花を
取り替え掃除し「成仏できますように!」「両親や先祖のお陰で土地をもらうことがで
きました!」「
私達が交代で墓を守っていきますから安心してください!」と言って、
それぞれお互いが墓参りしていた。
年月が流れ三年後に、一番上の姉の主人が交通事故で亡くなり、続いてその息子も
交通事故に遭い、下半身不随で車椅子生活になった途端に、嫁は子供を置いて出て行って
しまったので、幼い孫を連れて障害者の息子の病院通いの明け暮れ。
それから姉妹達に次々と災難が起こった。二番目の姉の息子が突然リストラになり、
毎日ブラブラしているので、母親と喧嘩して家出してしまった。三番目の姉夫婦は離婚し、
四番目の妹の主人は飲んだくれになり夫婦喧嘩が絶えない。姉妹四人は親孝行をし、先祖
供養や墓参りを真剣にしているのに何故………。
悪婆?
今度は反対に村では評判の悪いクソ婆がいました。そのクソ婆は近所の物は盗むし、
誰彼なしに人の悪口を言い、娘達が来れば塩を持って追い帰し、誰と出会っても喧嘩に
なってしまい、手の負えないほどのおばあさんだから、お嫁さんは何か事が起きるたび
に、毎回のようにお詫びに廻る始末、近所や子供達だけではなく、兄弟や親戚からも嫌
われていた。
ある時、風邪をこじらせ肺炎になり入院したが、誰もお見舞いに来ないので、お嫁
さんは「おばあさんが入院したのでお見舞いに来て!」と兄弟や子供達に電話したなら、
話し合ったように身内一同一緒にお見舞いに来ただけで、後は誰も来ないので怒れ、
一人でタクシーに乗り帰ってきてしまうほど、自分勝手でわがままな嫌われ者のおばあ
さんでしたが、年波には勝てずとうとう亡くなってしまった。
葬儀と忌み明けを済まし、遺産相続の話しをするために、おばあさんの弟である
叔父さんを仲介人に立て、姉妹や弟達を集める場を本家に設けた。
さて話し合いをしようと思ったところ叔父が「まあ! 待ちなさい。私の話を聞いて
くれないか? 私の姉だがよくあんなクソ婆の世話をしてくれていた。私は一緒に住んで
くれた長男夫婦に感謝するよ!」と言われたので、姉妹や弟達も「ありがとう!」と
言って話は無事にまとまり、クソ婆である母親が少しだけだが貯めていた貯金を、他の
兄弟に分け与えた。
姉妹や弟達はクソ婆である母親が亡くなっても墓参りに行かず、実家を守っている
長男夫婦を生き仏のように「感謝!」「ありがとう!」と手を合わせ、兄弟仲良く暮ら
しています。
感謝とは
感謝は誰にすれば良いかが問われると思う。この二人の老婆は、陰陽を比べるための
対象物になっていて、始めのおばあさんは娘達に「感謝」して亡くなり、遺産相続争い
を起こさせ、後のおばあさんは嫁に「感謝」して亡くなり、兄弟の輪と和を結んだ。
親切にも二通りあり直接的か間接的かによって、争いが起きるか和を結ぶかが問われ
ると思う。
親の幸せを祈りたいのならば、親に直接親孝行をすれば争いが起きてしまう。親の幸
せを祈りたいのならば、長男夫婦の幸せを祈ればいい。これが誠の親孝行ではないのか?
だがこれが出来ないから、もめ事や争い事が茶万事になり、我が子をイジメや非行に
させたり、離婚や不倫をさせてどん底の人生を体験している。
感謝することと親孝行をすることが間違いがなければ、悪いことや不幸が起きない
だろうが、何か悪いことが起きるとなれば、それは間違いではないのか? だがこの間違い
か正しいかは「親が作った罪を子供が受け継ぎ孫が現す」ように、結果が出るまでに何が
原因だったのか分からなくなってしまう。だが何か間違っていれば、必ずと言っていい
ほど何かが起きているはずである。
また感謝の謝とは何か? この字は謝すると読み「謝る」である。謝るとは誰に謝るの
かと言えば、自分自身である。何故自分自身に謝らなければならないのかと言っても分か
らないと思う。
不幸は詫びの姿
自分自身に謝るとは、前世の自分である。前世の人生と現世の人生は真反対になり、
その真反対の人生に謝るのである。
例えば長女と長男嫁、長女婿と長男、二女婿と二男、二男と長男嫁、二女と長女婿、
二男嫁と二女、長男と二男嫁、長男嫁と二女婿と言うように、お互いが立場と順序を
入れ替えと組み替えをして、前世のみずからを確認するために、誕生して再会したので
ある。立場と順序を無視して、親孝行をしたり感謝されれば、何かが間違っていた場合
は、詫びなければ解決できない出来事が起きることを訴えかけられる。それがイジメや
非行、家庭内暴力や親子喧嘩、登校拒否や引き籠もり、アトピーやゼンソク、家出や
蒸発、交通事故や災難など様々な出来事に遭遇し、詫びなければ解決できないことを
引き寄せてしまう。
以下のサイト内関連ページもご参照下さい。
※神魂の差取り「良い嫁と悪い嫁」
※神魂の悟悦道修
※神魂は夢陽の兆物
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