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しんとうしゅうせいは
神道修成派とは 神道修成派教庁ホームページ
1)立教
神道修成派の教祖は、新田邦光と申され、祖先は新田義貞公の御舎弟で、南朝の忠臣である新田(脇屋)義助公であります。出生地は、徳島県美馬郡脇町字拝原で、御帰天後の神名を東洋修成神と申し上げます。国学と漢学の大学者であられたので、門人たちはその高徳を称えて、東洋先生あるいは東洋聖人と仰いでおりました。

十九歳ごろより諸国を巡遊し、勤皇の志士として、栗田宮、岩倉具視、梅田雲浜、橋本左内らと交遊し、嘉永六年には大森海岸の警備に参加し、また神道家としては、嘉永元年(一八四八年)二十歳の時、布教伝道の志を立て門人の教化を開始しました(立教元年)。

明治維新に際しては、濃飛鎮撫を建白し、門人らを率い、王政復古の主旨を説き、戦わずして鎮撫の大業を達成し、飛州高山取締となりましたが、政治の過中に巻き込まれ、武州忍城に幽閉されました。その半年間の幽閉中、大病に罹り生死の境を越えられたことにより宗教的回心に達し、無実が明らかになり赦免されてからは、修成道の教法によって教導に専念することになりました。

明治二年(一八六九年)、古事記、日本書紀の神道聖典に源由した哲理であり神道神学の神髄である「修理固成光華明彩」の教法によって開教されました(開教元年)。明治六年八月に「修成講社」の創立が教部省より許可され、さらに明治九年十月二十三日に、神道十三派のなかで最初に一派特立が許可され、以来「神道修成派」の教団名一貫して用い、平成元年に開教百二十年を迎えております。

現在は、四代目管長・新田邦夫が就任しています。

2)修成大神(神道修成派 御祭神)
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神 (たかみむすびのかみ)
神皇産霊神 (かむみむすびのかみ)

造化三神(ぞうかさんしん)と申し上げ、神々の大元の三柱の天神であられ、大宇宙の主宰神であられます。その発せられた「修理固成」の御神勅によって、天地万物が創造されたのであり、そして、この四文字の中には、すべての真理や道が含蓄されており、全ての基となっているのであります。

伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)

国生みの神で、天沼矛をもって、日本国土の四国、九州、本州ほか周辺の島々を修理固成されるともに、禊祓のわざを始められ、伊邪那美大神とともに夫婦の道をおこされて、天照大御神をはじめ八百万の神々をお生みになられた大神であられます。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

高天原を統治され、天地間にて至大至尊、日の神であられ、わが皇室の御先祖であり、皇孫瓊瓊杵尊に天壌無窮の御神勅を下されて、三種の神器を授けられた大神で、この神の「光華明彩」の御神徳がなければ、物を照らすことも出来ず、万物も育成いたしません。公明正大に世界に照臨される大神であられます。

天神地祇八百万神(あまつかみくにつかみやおよろずのかみ)

「修理固成」の御神勅に基づいて生まれ給うた数多くの神々で、造化三神の御神威をそのまま、それぞれの御徳を御分担なされて、天神を御補佐なされる神々であられます。

修成大神(しゅうせいおおかみ)

以上の神々様を総称して、修成大神と奉称し、その絶大な御神徳を戴き敬拝いたします。



◆古典より御祭神の説明

日本の古典に「古事記(こじき)」「日本書紀(にほんしょき)」があります。この書ができる前に「帝紀(ていき)」「本辞(ほんじ)」という書物があり、これを7世紀、天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)という人物に丸暗記させていた。それを30年ほと経ってから元明天皇が暗記した内容を学者であった太安万侶(おおのやすまろ)に聞かせ記述してできたのが古事記であります。

この古事記は上・中・下の3巻に分かれており、上の神代巻に御祭神について記されております。

遙か昔、天と地は境もなく混沌としていた。やがて澄んだ気が天となり濁った気が固まって地となった。こうして天と地が分かれ、初めて天の高天原に神が現れました。初めに現れた神を天之御中主神といい、次に高皇産霊神神皇産霊神が現れました。この三神を造化三神(ぞうかさんじん)ともお呼びします。

天之御中主神は、宇宙・天地の中心的存在であり、高皇産霊神、神皇産霊神は、すべての根源を創り出す神であります。この三神は、独り神であり姿形はありません。神々の祖神でもあります。

続いて、宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)が現れ、生物に生命力を与える神であります。合わせて現れた神を天之常立神(あめのとこたちのかみ)といい、天地全体を司り高天原で人々を守る役割を持っている。

以上の神々は姿を現さず男女の区別もない。次に現れた神々は、国常立神、国狭槌神、豊斟渟神、泥土煮神、沙土煮神、大戸之道神、大苫辺神、面足神、惶根神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、これらの神様を神世七代といいます。

伊邪那岐大神、伊邪那美大神は夫婦の神として現れ、二神は山・海・河・野・草木・岩・土・風・五穀の神など多くの神を生んでいった。最後に生まれた神が火の神である。しかし、伊邪那美大神は火の神を生んだ後に焼かれて死を迎えます。

伊邪那岐大神は、死の世界「黄泉国(よもつくに)」まで伊邪那美大神に会いにいきます。しかし、伊邪那美大神は体がぼろぼろで、見るに見られない姿になっていました。その姿をみて驚き、その場から立ち去った伊邪那岐大神であったが、自らが穢れてしまったのできれいな清流で体を清めることにした。

伊邪那岐大神が顔を洗うと左目から光り輝く天照大御神(あまてらすおおみかみ)が現れ、右目からは月読尊(つくよみのみこと)、鼻からは素戔鳴尊(すさのおのみこと)が現れた。

以上、古事記ではもっと詳しくさらに続いていきますが略にて神々の現れを記しておきます。

3)大元祠と教庁
本部教会を「大元祠(だいげんし)」といいます。山上祠(さんじょうし)と山下祠(さんかし)に分かれています。山上祠は、村営獅子が鼻公園に隣接し、南に遠州灘、西に天竜川が眺望される森厳なる聖地秩山の山頂にご本殿があります。昭和28年4月に静岡県磐田市豊岡に遷座。昭和51年に御神殿造営。平成元年に大拝殿が大元祠山上祠に造営。平成11年に開教130年を迎えました。
山下祠は、天竜浜名湖鉄道の敷地駅より徒歩十五分の小高い丘の上で、教祖教霊殿などがあります。

教務本部である教庁は、東京都杉並区松庵の本郷祠の中にあります。

大元祠や本郷祠の「祠」という名称は、明治十四年から数年間、寺院以外では葬儀の執行が禁止された期間に、とくに神葬祭の執行を許可された「祠宇(しう)」という数少ないきわめて由緒ある祠であります。

大元祠にて、大祭(4月4日、4月5日)、星祭大祈祷(2月5日)、月次祭(毎月第1日曜日)を斎行しております。

また、大元祠の教霊殿にて、教祖教霊祭(11月24日、11月25日)、月次霊祭(毎月25日)に斎行しております。

0539-62-4328(山下祠) 0539-62-4088(山上祠)


大元祠マップ

■JRご利用の場合
@浜松駅より、遠州鉄道「西鹿島駅」下車。タクシー(約10q)。
A掛川駅より、天竜浜名湖鉄道「遠州森駅」下車。タクシー(約10q)。
B掛川駅より、天竜浜名湖鉄道「敷地駅」下車。
C豊橋経由、新所原駅より、天竜浜名湖鉄道「敷地駅」下車。
※「敷地駅」にはタクシーがありませんので、徒歩で山下祠まで約十五分、山上祠までは約一時間です。

■自動車ご利用の場合
東名高速袋井I.C.または、浜松I.C.より「豊岡国際カントリークラブ」(ゴルフ場)の案内標識に従って途中まで来ると便利です。

4)基本的教え
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の神は古事記の中で一番初めに出てくる神様です。天之御中主大神は、宇宙神とも呼ばれ、天の根本に立たれる神様です。この神様は姿がありません。皇産神は「産む」と言う字が有るように、全ての万物を産み出す神様です。

この神様達のお陰で、万物が有りその中に人間がいるのです。人間は神聖なる神様の霊魂を受けて生きています。この霊魂は人の心のことです。神聖なる心を戴いているのですから、少しも邪気が有ってはなりません。どんな人でも赤ちゃんの時は悪心は無いのです。善心を持って世に尽くすことが、人の歩む道なのです。この心を造り固めなければなりません。この神様達が一番初めに申した言葉が「この漂える国を修理り固め成せ」と言う言葉です。人は仕事をするにも何かを行うにも、自分自身を造らなければなりません。全てに「修理固成(しゅうりこせい)」が含まれていると言うことです。

これと合わせて天照大御神(太陽神)の全てを光り麗しく照らし、太陽の恵みを与えてくれる力「光華明彩(こうかめいさい)」を含めて「修理固成・光華明彩」を御称号とします。

「光り麗しく造り固める」と自分に言い聞かせるのです。人間の心が悪なき心であるなら、おのずと国も良き国になるのです。昔から日本には言霊と言う言い方があり、言葉には霊的な力が存在するという考えです。「良い言葉は吉事を招き、悪い言葉は凶事を招く」と言われます。

これに似た宇宙の法則があります。これは自分の言った言葉や行動は必ず我が身に帰るというもの。これに限らず神様は、常に私達を見ているのかも知れません。怒りっぽい人には怒る人を、暗い人には悲しい事を、実は自ら呼んでいるのかも知れません。「修理固成・光華明彩」は神聖で光り麗しい心を造り固めていますと言う意味なので、この言葉が我が身に帰るなら、おのずと清い心になり幸福も届くはずです。ただただ、生き生かされている人間は、生命の尊さ自然の恵みに対しての感謝は決して忘れてはならないのです。

5)神道修成派十箇条心得
一、天神の詔し給ふ修理固成の道を体認すべき事
二、神祗を敬拝し神徳に報ひ奉る事
三、先祖の恩を思ひ霊祭懇切にすべき事
四、日本魂を振起し皇恩を心得忠義の志ある事
五、人倫の道を履行ひ心を剛くすべき事
六、本業を勉励し家を盛にすべき事
七、節倹を守り我身分に応ずる行ある事
八、我国生産の物品を用ひ心を外国へ寄せざる事
九、言ふ所を行ひ行ふ所を言ひて誠ある事
十、気を長じ物事に耐忍び修成道を信仰し心を固成す事

6)御称号  しゅうせいこうめいさい
神道修成派では「修理固成光華明彩」を八字の御称号と申し、常に心に念じ口に唱えています。

その本旨は、御祭神についての説明でも申し上げましたが、造化三神の御神勅「修理固成(つくりかためなせ)」は、万物を立派に完成することであるのみならず、とくに天神の分魂である自己の心魂を正しくすることにより発します。

さらに天照大御神の公明正大な御神徳「光華明彩(ひかりうるわしく)」を体して修成道に励み、修理固成を正しく活用することにより、世のため人のために尽くし、幸福な人生を築くことの誓願であります。

そしてあらゆる御神助をいただける御称号であります。

7)修成道教典
修正道教典音声

太古天神、天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神、伊邪那岐の神、伊邪那美の神に詔りしてこの大地萬国を修理固成せしむ。而後人の生ずるところ、物の産ずるところ皆造化三神の宏図に出でざるはなし。然り而して天地間萬物の衆、人を最霊となす。その霊なる所以は三神の寵を得て純粋の心魂を受くればなり。故に体は甚だ小なりといえどもその霊は則ち甚だ大なり。ただ庸人体躯の慾に溺れてその心魂天神の賦与するところを知らざるなり。ただ大人天に代わりて極を立て人をしてこの道に率由せしむ。これ教えの由って起こる所以なり。それ教えの主とするところ、先ず天神賦与するところの心魂を明らかにするにあり。己の心魂既に明かなれば則ち推してもつてまさに人の心魂を明かにすべし。それ天神心魂を人に賜う。この故に人心にありては敢えて異動あるにあらず、啻至誠のみ。故に我が體躯の慾を除き心魂の至誠に復すれば則ち我が心天神と一般、己の心を推してこれを人に及ぼせば則ち人豈我に服せざるものあらんや。人ただこれを忽にす。故に禽獣と伍する所以なり。既に明かなる心魂を拡充しもつてこれを行い體躯の慾に率わざれば、則ちたとい世の人利慾をもつて我を溺惑するとも我が心確乎として秋亳も動かず、まさに磁石の北に向い一定して動かざるがごとくなるべきなり。凡そ人心慾を防げば則ち心魂明かにして安し。心魂安ければ則ち慮るところ正しくして理にあたる。それ樹根堅ければ則ち枝葉繁茂す。根堅からざれば則ち枝葉枯る。人亦かくのごとし。心魂は根なり體躯は枝葉なり。凡そ人徒體躯を養うを知つて心魂を養うを知らず。體躯の養は則ち飲食なり。心魂の養は則ち道教なり。ただその枝葉を養うを知つてその本根を培うを忘るるものは、則ち物に本末あり事に軽重あるを知らざるなり。凡そ天下の人多く自ら我知ありとおもい我賢なりとおもいて、心魂のあるところを知らず。則ち自らもつて賢となし知となす者、その実は愚なり不肖なり。賢者知者まさに道を大人に問うべし。大人にありては則ちこれを教えざるなし。苟もその教を奉ずれば則ち人生及び萬物を熟知し、真に我が心魂の尊きを知る。心魂を尊びて行うところ正誠、もつて體躯の慾を除けば則ち天神賦与するところの知混々涌出す。私見を用いず、由つて真に徳を知れば則ち思うところ行うところ天神の意に合わざるはなし。実に神意に合えば則ち一身修まりて瑕瑾あることなし。吾の心魂と人の心魂とも一なれば則ち吾の心魂を推し人の心魂を治む、豈感化すべからざるものあらんや。故にこれを一家に及ぼせば則ち一家陸じ、これを天下に及ぼせば則ち天下治る。そも大地萬国を治むるの術豈心魂を治むるのほかにあらんや。これをもつて心魂の貴きを知るものは本を知るというべし。これ知の至りなるものなり。人まさに人を欺きて心に快となすべきか、必ずまさにこころよからざるべし。そのこころよからざるは心魂の欲するところに順わずして心魂を餓やせばなり。誠を立てて人を助くれば則ち必ず心快よし。そのこころよきは乃ち心魂の養をうればなり。衆人概ね金帛を人に貪りて己に利を謀る。たといその利を逞うするも一身に外ならず、その及ぶところは狭し。我が行うところ誠を立て道を行い、人の心魂を明快ならしめ飽くまでその養を得れば、啻現世のみならず死後亦心魂著明、永福を受く。その養を得るもの一邑一国に止まらずして、将にこれを天下後世に及ぼさんとす。これを天下後世に及ぼして我が徳損減なし。この道の妙なお天神の萬物を造化するがごときなり。嗚呼人にして物に本末軽重あるを知らば則ち豈この道に従事せざるべけんや。それ天神體無し、冥々の中において誠正の妙を立て萬物を化生す。人亦天神の法り、隠微の間において誠を立て正に居りまさにこれを養うべきなり。大人の心魂飢餓無し、家富む者はその屋光沢あり、人身亦然し。心魂の養を得る者は則ちその身自ら光沢あり。内修まれば則ち外務めずといえども亦自ら修まる。外飾盛んなりといえども豈心魂の養に益することあらんや、則ち内治豈それ忽諸にすべけんや。

神道とは

1)神道の信仰
神道には、教祖も教義も教典も布教もないとされています。宗教としての考えより、この国の伝統・文化として形成されてきた信仰とも言えるのです。

稲作農耕が基礎となってきた時代に、日本の人々は、人の力ではどうすることもできない見えない力「太陽エネルギー」「大地の栄養」「水の働き」などに豊作を願いそして感謝してきました。現代でいう、4月の春祭りと10月の秋祭りです。このように、大きな存在を「神」とし、いたるところに神がいると考えられていました。

神とともに生活し神とともにあることを惟神(かんながら)といい、私たちの生命は神の分霊(わけみたま)と考えられ崇拝されてきました。

2)神道の神々
神道における神々は大きく分けて3つあります。

@自然神
 太陽、山、海、水、大地、動植物などを神とする。

A観念神(神話に登場する神)
 創造神の高皇産霊神、神皇産霊神。生殖神の伊邪那岐大神、伊邪那美大神など
 を神とする。

B人間神(偉人・英雄)
 徳川家康・源頼朝や各地域に貢献した人を神とする。

こうした神々が、各地域の神社でお祀りされるようになったのです。

3)神道の種類
@神社神道
神社をその精神結合の中心としながら、人間の生きる意味を探求し、神と人のかかわりの下に、人として取るべき基本的生活態度を実践して、人生の充実と、現世における理想の達成をはかる営みである。教祖や教義をもたないが、神話の精神や神社祭祀の伝統を中心に、氏子崇敬者の組織を持っている。

A教派神道
日本在来の宗教伝統を基盤にして、明治に形成された13派の神道教団を中心とする神道の運動をいう。教祖・組織者を有し、信仰の実践を主とし、宗派の形成をなしている。

B民俗神道
組織も指導者もなく、教義や教典のような思想も持たずに、生活の中で行われている信仰。正月参りや祇園祭など。

4)教派神道
教派神道は、明治政府が宗教政策を実行するようになってから生まれた神道系の宗教です。この教派神道は、13の派があります。下記が神道系の宗教派になります。

復古神道系
 @出雲大社教
 A神道大教
 B神理教
儒家神道系
 C神道修成派
 D神道大成教
禊系
 E神習教
 F禊教
山嶽信仰系
 G実行教
 H扶桑教
 I御嶽教
純教祖教
 J黒住教
 K金光教
 L天理教

■国家神道と教派神道(神道行法の本より引用)

明治新政府による神道の国教化は、神道における国家祭祀と民衆宗教の分離という、いびつな流れをもたらした。すなわち、天皇崇拝を基軸としたいわゆる国家神道と、国家公認というかたちで宗教活動が許可された教派神道の誕生である。

国家神道という言葉は、第二次世界大戦に占領軍が用いた新語だが、明治初年の神祇官の再興、神仏分離令の発令、伊勢神宮を本宗とする社格制度の再編成といった一連の施策がめざしたものとは、たしかに、神祇信仰を「国家の祭祀」として一般の宗教から分離させようという意図のもと、国家によって保護、管理された神道であった。

一方、明治10年代を中心に順次公認されていった教派神道とは、具体的にいうと、黒住教(くろずみきょう)、神道修成派(しんとうしゅうせいは)、出雲大社教(いずもおおやしろきょう)、扶桑教(ふそうきょう)、実行教(じっこうきょう)、神道大成教(しんとうたいせいきょう)、神理教(しんりきょう)、神習教(しんしゅうきょう)、御嶽教(おんたけきょう)、神道大教(しんとうたいきょう)、禊教(みそぎきょう)、金光教(こんこうきょう)、天理教(てんりきょう)の13派をさす。このほかに、伊勢講を母体とした神宮教(じんぐうきょう)も別派独立が認められたが、これは明治32年に財団法人神宮奉斉会に改編されたため、ふつう教派神道には含めない。

敗戦によって国家神道は解体したが、これに代わるようなかたちで、神社連盟的な包括団体として結成されたのが宗教法人の神社本庁である。

これは伊勢神宮を本宗とする神社の全国的な集合体で、全国に地方組織をおく日本最大級の宗教団体である。なお、国家神道を含め教派神道に属さない神道信仰すなわち神社を中心とした信仰は、神社神道と総称される。

ふつう、教派神道は、国家神道に比して、明治政府公認の神道系新興宗教ととらえられているようだが、歴史的な経緯をふまえれば、国家神道こそが新政府によってつくられた新興宗教であり、昔ながらの純朴な神道の系譜は、むしろ教派神道のほうに多く流れていったともみることができるのではないだろうか。


5)神道の歴史
日本には日本の信仰があり、古来から神々を崇めてきました。しかし、初めから「神道」という言葉が使われていたわけではないのです。では、いつ頃から日本の信仰が神道という形で呼ばれるようになったのでしょうか。それは、日本書紀において初めて神道という言葉が使われたのです。

この時代(6世紀)、日本に仏教が伝来して来て、日本の信仰と他国の信仰を区別するために、日本古来の信仰を「神道」と名付けたのです。

6世紀頃から、神道、仏教、儒教の3つの信仰があったとされます。特に、仏教を崇拝する動きが強まり始めます。神道と仏教の間で衝突はあったものの、徐々に仏教が歩みよっていくことになります。用明天皇が「仏をうけたまい、神の道を尊ぶ」と言ったように、両方の信仰が混じった信仰へと定着し始めていきます。

こうして神道と仏教が混じり合い「神仏習合」としての信仰が日本の信仰へと変わってきます。寺院が神社に付随して建てられたり、神社の中にお寺が建てられるようになりました。神社内に建てられたお寺を神宮寺といい、奈良時代末から多く建設されていきます。

神社で神に奉仕する方を神官といい、お寺で仏に奉仕する方を僧侶といいます。こうして神官と僧侶が一緒に神・仏を崇拝するようになっていったのです。もちろん、神仏習合しない神社もありました。しかし、時代が進むにつれて神も仏も一緒に祀られるようになってきたのです。

神道だけの日本信仰から、仏教が伝来し仏教が神道へ近づき、神仏習合時代へと移り変わりました。しかし、時代の流れと地域の信仰とともに、神官の上に僧侶が立つようになるところも出てきます。そうしますと、神の上に仏という新しい信仰も出てくるようになるのです。仏のほうが神より尊いという考えです。この信仰が、神道の神が菩薩の名前を受けることになったのです。これを「本地垂迹説」といいます。

神は元をたどれば仏が現れた仮の姿であるとされるのです。伊勢神宮にお祀りさています天照大御神の本当の姿が大日如来とされ、八幡大神は観世音菩薩というように日本信仰が仏教支流の信仰へと移り変わっていきます。

この神仏習合時代は、明治時代まで続きます。1000年以上、神と仏が合わさった信仰の時代です。しかし、江戸時代になると国学者が現れます。契沖、荷田春満、賀茂真渕、本居宣長、平田篤胤等です。神道そのものを見直そうという動きがでてきます。徳川幕府が崩壊し明治維新を迎えることになります。明治に入ると日本古来の神道が重視されるようになります。1000年以上も続いた神仏習合の信仰から、神仏分離へと時代が急激に進んでいきます。神道と仏教をしっかり分けるという動きです。

しかし国民の間に仏教を廃止しなければならないという、うわさが全国に広まります。寺院や神宮寺、仏像や仏画を消却し僧侶たちにも暴行を加えました。この運動を「廃仏毀釈運動」といいます。そして、神道は国家神道へ、仏教は一宗教へと分離されていきます。

徳川家を頂点とした徳川幕府から明治天皇を頂点とした明治政府へと時代が流れ、神道布教を国家の仕事として位置づけ神社制度を整えました。神社制度は伊勢の神宮を頂点に天皇と縁が深い神社から順に社格を定めていきます。こうして新しい日本を統一するために神道が組織化されたのです。国家神道の誕生です。
※国家神道は戦後占領軍が使用した言葉で、もともと日本でできた言葉ではない。日本では、神社神道という。

神道は宗教ではなく、日本の民族精神そのものであるとされ、神道以外の信仰は宗教という位置づけにされていきます。教派神道13派も神道の布教を続けていましたが、明治政府が布教を禁じたのです。そこで、教派神道は独立し宗教として位置づけされていきます。

明治・大正・昭和へと時代が移る中で昭和20年敗戦を迎えます。このときGHQが「神道指令」を命じます。「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証・支援・保全・監督及弘布ノ廃止ニ関スル件」この影響を神道は受けるのです。

神社の国家管理を禁止。内務省の神祇院と神社に関する公の機関の廃止。皇室の祭祀、神宮の祭祀など神社祭祀の法規を無効に。皇室祭祀は国家の管理から内廷に移行。神宮・神社は宗教法人になる。神社の財産は私法人の財産に。公の建物施設にある神殿は排除。政府と神道の一体化を離す。軍事主義・超国家主義の禁止。神社に関する民間三団体の解散などで影響を受けます。

こうして国と神道が習合していた時代もすぐに終わりを迎え、神道は宗教法人として神社本庁という神社をとりまとめる機関が設立されます。現在の地域の神社も神社本庁の管轄の元、宗教法人○○神社として神道宗教として信仰されています。

このように神道は日本古来より時代とともに、信仰を変え、形を変え、そして現在では一宗教として神々をお祀りしております。唯一変わらないのは昔も今も、大きな存在「神」だけである。

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